作業療法の思い出
こんにちは!作業療法学科 教員の楠木です。
みなさん、わが校に足を運ばれたことがおありになるでしょうか?
今日のような晴天の日は、金武町の海は本当に綺麗で、まさにエメラルドグリーンのお手本のような鮮やかな海に、琉リハの真っ白な校舎が映えています。
そんな琉リハにも、ここ数日は朝夕に秋の香りが漂い、季節の移り変わりと共に、4月に入学してきた1年生の生徒たちの表情や言動も、少しずつ頼もしくなってきています。
さて、このブログを訪れている方の中には、少なからず、『作業療法ってなに?』と思っていらっしゃる方もいるのではないかと思います。
今日は、私が作業療法士になって2年目に担当させていただいた、脳梗塞の患者様のお話をさせていただきたいと思います。
その方(Aさん)は、40代後半の男性です。
お酒の飲み過ぎをはじめとした不摂生が原因で脳梗塞となりました。
右半身に麻痺が残り、言葉も上手く話せなくなってしまい、ベッドの端に一人で座ることもままならない状態で入院して来られました。
作業療法では、もし後遺症が残っても退院後の生活に適応できるように、ということも考えながらリハビリを行うのですが、
『退院したらまた身体も全て元通りになるから大丈夫。動かすリハビリだけやってください』の一点張り。
『なぜ酒を飲んだんだろう。俺はバカだ』といって大きな声で泣いていました。
そのため、初めの1ヶ月はあえて日常生活のリハビリはノータッチにして、身体機能面のリハビリ(身体を動かす練習)を行いました。
そして、回復を実感して貰いながら信頼関係を形成し、『トイレは一人でやりたいさぁ。一人で行ってもいいね?』の一言を聞いたのをきっかけに、日常生活訓練を積極的に開始しました。
環境調整と少しの練習で、一人でやれることが急速に増えて、モチベーションも急激にアップしました。
すると、『すごい!すごくよくなってるよ!でも、もしかしたら元には戻らないかも・・・どうかな?』と聞いて来られました。
『それは誰にもわかりません。Aさんは、退院後、どんな生活がしたいですか?』と尋ねると、
『仕事もしたいし、母ちゃん(妻)の手伝いもしたいさぁ。たまにはお酒飲んだりもしたいし・・・。ね、たまにはいいよね?』
と、あんなにリハビリ室で後悔の涙を流していたのに、すでにお酒を視野に入れた退院生活を考えていらっしゃいました(笑)
それからは、退院後の生活を具体的にイメージしながら、料理や携帯電話の操作、模合に行ったり、近所のカラオケ屋さんに通ったりする練習など、本人のイメージしている生活に欠かせない動作の練習を中心にリハビリを行いました。
その中で、『某有名テーマパークは障がい者手帳があれば半額らしいですよ』『○○マラソンは、3.8キロのコースがあるらしいですよ』などの情報提供も行なっていました。
そしてドタバタの6ヶ月が過ぎ、ついに退院!
『杖、ヒョウ柄にしようかな・・・どう思う?』
と言い残して退院して行かれました。
どこまでも面白い方でした。
そしてそれから1年の月日が過ぎ、Aさんの外来リハビリ担当セラピスト(療法士)から連絡が来ました。
『Aさんがマラソンに出たいと言っている』と!
入院当時の担当セラピストと、現在の外来担当セラピストが集まり緊急ミーティングを開催!!
それから本番まで、装具に工夫をしたり、特別プログラムを考えたりと、目標タイムをクリアするためにバタバタと日々が過ぎていきました。
そして当日。
お揃いのTシャツを着た私たちは、見事に目標タイムをクリアしたのでした(^ ^)
しかし、Aさんには隠れたもう1つの目標がありました。
それは、『新聞に載りたい』というもの。
そのため、ゴールするときに一列になって全員で手を繋ぎ、バンザイをしながらテープを切りました。
目立った甲斐があり、無事、記者の方に声をかけて戴くことができました(笑)
・・・さて、長くなりましたが、この方、本当に『マラソンが走りたかった』だけでしょうか?
『マラソン』という作業に隠された、本当の意味とは・・・?
そう、Aさんは、脳梗塞になっても頑張っている姿を、奥さんや子どもに見せたかったんです。
『お父さんは諦めないぞ!こんなにお前達を愛しているんだぞ!頑張っているんだぞ!』ということを、マラソンを通して伝えたかったのです。
奥さんと娘さんの少し照れ臭そうな顔や、嬉しさを隠すように伏せた目、そしてAさんの何とも誇らしげな表情を見ながら、きっと何年経っても、この瞬間は家族の色褪せない思い出として残り続けるのだろうと思いました。
私は、作業療法は、対象者の『作業』に隠された本当の意味を見出し、その『作業』がいつまでも輝くように支援することだと考えています。
対象者の『作業』が輝き出す瞬間を見られることこそが、この仕事の醍醐味ではないでしょうか。
さて、そんなAさん、マラソンという目標を達成してからというもの、最近は、麻痺した利き手の代わりにもう一方の手を使って自画像を描いて展覧会で入選を果たしたり、カッコいい車を自分で運転出来るように改造したり、作業所に通って仕事をしたりと、精力的に活動しているようです。
このお話と写真を掲載させて頂いてもいいか?という許可を取らせて頂いた際に、何か学生に伝えたいことはありますか?と聞いたところ、
『もう、脳梗塞で!倒れたときに!人生終わった?車イスだと思った。病院でリハビリすることで、やる人は違った。よくなった!自分がどこまで行けるか。まだまだいける。一番は、いいリハビリメンバーに出会った!まだ、すこしずつ変わってるよーまだ変わるまだ行ける!あきらめない』
という温かいメッセージをお送りくださいました。
これは、私の現場が病院であった時のお話です。
現在の私にとっての現場は病院ではなく学校ですが、学生たちが成長していく姿もまた、私の心の糧となっています。
琉球リハビリテーション学院の生徒なら、きっと一人一人が輝く作業療法士になれる。
可能性を背負った生徒たちから毎日元気を貰い、未熟ながら教鞭を取らせていただいております。
あなたも是非、作業療法士の魅力に、琉球リハビリテーション学院の魅力に、直接触れてみませんか?
ぜひ、オープンキャンパスに遊びに来られてください!
お会いできることを楽しみにしております(^ ^)